遠心力が作る量子状態の測定に成功
〜等価原理の検証と未知短距離力の探索へ
大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構
国立大学法人 東海国立大学機構 名古屋大学
J-PARCセンター
本研究成果のストーリー
- Question - ✣ 一般相対性理論と量子力学の統一理論構築は現代物理学の大きな課題です。一般相対性理論は重力と加速度の等価性に立脚しています。しかし、量子状態の加速度下における振る舞いは限られた実験でしか検証されていませんでした。
- Findings - ✣ 我々は凹面鏡に中性子ビームを沿わせると遠心加速度によって表面を這うような量子状態が現れることに着目しました。中性子が地球重力の700万倍に相当する加速度下で作る量子状態の観測に成功し、量子力学が正しく成り立つことをパルス中性子で初めて検証しました。測定の感度自体は1万分の1に相当し、今後より精密な凹面鏡と量子力学計算を用いることで精度をさらに高めることが可能です。
- Meaning - ✣ 本研究の検証精度を高め、地球重力によって束縛された量子状態の結果と比較することで、量子力学における等価原理の検証がこれまで実現されていなかった高い精度で可能となります。また、1万分の1という高い感度を活かして10ナノメートルの到達距離を持つ未知短距離力の探索にも有望です。
図1 (1) ガラス凹面鏡に入射する中性子ビームと凹面鏡表面に作られる量子状態の模式図と写真。 (2) 量子状態の観測結果と理論計算との比較。古典力学の場合は点線で囲まれたくさび形領域の内側に一様に分布します。(3) 図1(2)の発散角-0.1から0.1 mradの範囲を抜き出した分布。実験データが量子力学の曲線とよく合っていることが分かります。
120文字サマリー
遠心力で作られた中性子の量子状態をJ-PARCパルス中性子源を用いて観測することに成功しました。地球重力の700万倍に相当する加速度で量子力学が正しいことをパルス中性子で初めて検証しました。
概要
一般相対性理論と量子力学との統一的な理解は現代物理学の大きな課題です。しかし、扱うスケールが大きく異なる一般相対性理論と量子力学の両方を同時に検証するのは難しく、実験の例は限られていました。その中で、中性子を用いた実験、干渉計や超冷中性子の重力による束縛状態の観測などは、重力と量子力学が同時に現れる中性子のユニークな物理系として、数十年に渡って大きな関心を集めてきました。
図2 重力によって束縛される量子状態のアナロジーと遠心加速度によって束縛される量子状態
凹面鏡に冷中性子ビームを沿わせると遠心加速度によって表面を這うような量子状態が現れます(図1(1))。ここで、等価原理(※1)、つまり重力と加速度が等価であることを使うと、遠心加速度によって束縛される量子状態を重力によって束縛される量子状態のアナロジーとみなすことができます。つまり、凹面鏡の表面を這う運動を、床の上で弾むボールのような運動とみなすことができます(図2)。これにより、仮想的な重力下の量子状態を探索することができます。
本研究で、大強度陽子加速器施設(J-PARC)(※2)の物質・生命科学実験施設(MLF)で生成されるパルス状の冷中性子ビームと、精密に研磨された凹面鏡を使って実験を行いました。測定と理論計算の結果を比較したところ、遠心加速度が地球重力の700万倍の状況でも量子力学が正しく成り立っていることを2%の精度で検証することができました。さらに、より高い精度での測定のためには、凹面鏡の粗さだけではなく、より広い範囲でのうねりを抑える必要があることが分かりました。
測定の精度は1万分の1であると見積もられたため、理想に近い形状の凹面鏡と凹面鏡の形状を取り入れた量子力学計算を行うことで、より高い精度での検証が可能となります。高い精度を活かして、凹面と中性子の間に働く到達距離10 nmの未知短距離力(※3)探索に応用することも可能です。
※1.等価原理
重力によって生じる力と加速によって生じる力は局所的には区別できないという考えが「等価原理」です。一般相対性理論の出発点となる重要な考え方です。原理という名前ですが正確には仮説で、理論的・実験的に検証することが現代物理学のひとつの重要な課題となっています。
※2.大強度陽子加速器施設(J-PARC)
高エネルギー加速器研究機構と日本原子力研究開発機構が茨城県東海村で共同運営している大型研究施設で、素粒子物理学、原子核物理学、物性物理学、化学、材料科学、生物学などの学術的な研究から産業分野への応用研究まで、広範囲の分野での世界最先端の研究が行われています。J-PARC内のMLFでは、世界最高強度のミュオン及び中性子ビームを用いた研究が行われており、世界中から研究者が集まっています。
※3.未知短距離力
質量を持った粒子によって媒介される仮説上の相互作用です。たとえば、正体がわかっていない暗黒物質・暗黒エネルギーを説明する仮説や、目に見えない空間の広がり(次元)を仮定することで相互作用を統一的に理解しようとする余剰次元モデルでは質量を持った新しい粒子が現れます。媒介する粒子の質量に反比例して到達距離が決まります。この到達距離より遠方では相互作用が弱くなるため、近距離での実験的な検証が必要です。
研究グループ
KEK 物質構造科学研究所 中性子科学研究系
名古屋大学 素粒子宇宙起源研究所(KMI)フレーバー物理学国際研究センター
J-PARCセンター 物質・生命科学ディビジョン 中性子利用セクション
研究者からひとこと
◆ KEK 物質構造科学研究所の市川 豪 研究員
10ミリ秒の間、10ナノメートルの距離をあけて物質と中性子が近くにある状態というのは非常に珍しいです。この性質を利用して、未知の物理現象を探索したいと思っています。
なぜこの研究を始めたのですか
宇宙の物理法則を最も基本的なレベルで理解するためには、重力を含む宇宙の大局的な構造を記述する一般相対性理論と、極微の物理法則を記述する量子力学との統一的な理解が必要です。統一の手がかりとなる物理実験は不可欠ですが、一般相対性理論と量子力学は扱うスケールが大きく異なるため、両方を同時に検証する実験の例は限られてきました。その中で、中性子を用いた実験、干渉計や超冷中性子の重力による束縛状態の観測などは、重力と量子力学が同時に現れる中性子のユニークな物理系として、数十年に渡って大きな関心を集めてきました。
ひらめいたところはどこですか
我々は凹面鏡に中性子ビームを沿わせると遠心加速度によって表面を這うような量子状態が現れることに着目しました。中性子は量子力学で扱うべき「量子」であり波の性質を持つため、箱の中にとじこめると定常的な波が立ちます。この波の状態を量子状態と呼びます。中性子を「冷やした(運動エネルギーを減らした)」超冷中性子は重力に対して鋭敏で、重力によって有限の領域に束縛された量子状態に落ち着くことができます。これは床の上で弾むボールのような運動です。この運動は詳細に測定され、重力加速度に換算すると0.4%の精度で重力が量子力学において理論通りに働いていることが検証されています。
では、さらに強い加速度下で量子状態はどうなるのか?速度1000 m/s程度の中性子も浅い入射角では物質表面で反射するため、凹面に浅い角度で入射させると遠心加速度で束縛された表面を這うような量子状態を作ります(図1 (1))。
筆頭著者の市川は超冷中性子の重力によって束縛された量子状態の観測を研究していましたが、この観測によって重力と遠心加速度の結果を比較することで量子力学における等価原理の検証が可能だという深い物理的な意義を持っていることに気づき、遠心加速度によって束縛される量子状態をより詳細に検討してきました。
努力したところはどこですか
我々は、研究用原子炉を用いた先行実験よりも高い統計量を用いて、定量的な観測をすることを目指しました。 そのための鍵のひとつは茨城県東海村にある大強度陽子加速器施設(J-PARC)のMLFです。MLFでは25 Hzの繰り返し周波数でパルス状の冷中性子ビームが生成されます。先行実験が行われた研究用原子炉に比べて40倍の中性子強度を活用することで、統計精度を高めることができます。ふたつ目の鍵となるのは精密に研磨された凹面鏡です。先行実験で報告された酸化膜の影響を避けるために二酸化ケイ素 (SiO2)ガラスを採用し、量子状態の大きさ(約30 nm)よりも十分小さい表面粗さ(算術平均粗さ0.58 nm)を達成しました。15 mm×25 mm×40 mmを持つガラスの、25 mm×40 mmの面に長辺方向が軸となるように、曲率半径25 mm、角度スパン16°で凹面を作成しました(図1 (1)右下図)。
幅100 μmの中性子ビームを凹面鏡に入射させる位置と角度が重要になります。位置0.05 mm毎、角度0.03°毎のスキャンで最適な入射条件を特定しました。実験手順は同じビームラインで実験を行っている中性子干渉計のものを参考にすることで、効率良く条件を合わせることができました。
何が分かったのですか
実験はJ-PARC MLF BL05 NOPビームラインで行いました。取得されたデータを中性子の速度に対応する波長(波長が短いと速度は大きい)を、凹面鏡を出てきた発散角に対してグラフにすると図1 (2)図のようになります。量子力学に特有の干渉縞が現れていることが分かります。波長の長い領域で実験結果は予想よりも分布が少なく、これは凹面鏡のうねりによるものと考えられ、この影響をモデル化した計算結果とはよく一致しました。図1 (3)は、実験と理論計算を比較するために干渉縞が目立つ発散角0 mrad付近の分布を抜き出した図です。
実験と理論計算の結果を比較したところ、加速度に対して2%の範囲内で干渉縞の分布が一致しました。測定の精度は1万分の1であると見積もられたため、理想に近い形状の凹面鏡と凹面鏡の形状を取り入れた量子力学計算を行うことで、より高い精度での検証が可能となります。高い精度を活かして、凹面と中性子の間に働く到達距離10 nmの未知短距離力の探索に応用することも可能です。
それで世界はどう変わりますか
パルス中性子源を用いた基礎物理実験において精密測定に用いることが出来る手法を新たにひとつ確立しました。パルス中性子を用いて遠心加速度による束縛状態を観測したのは本研究が世界で初めてとなります。本手法で得られる遠心加速度によって束縛される量子状態の測定精度を高め、地球重力によって束縛された量子状態の結果と比較することで、量子力学における等価原理の検証がこれまで実現されていなかった高い精度で可能となります。また、他の手段では難しかった到達距離10 nmの未知相互作用探索に応用することが期待できます。
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謝辞
本研究はJSPS科研費21K03594、24K07083の助成を受けたものです。本中性子実験は実験課題2021B0141、2022A0204、2022B0327としておよびS型課題2019S03の一部としてJ-PARC MLFで行われました。
論文情報
タイトル | Measurement of neutron whispering gallery states using a pulsed neutron beam |
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著者 | Go Ichikawa and Kenji Mishima |
雑誌名 | Physical Review D |
DOI | http://doi.org/10.1103/PhysRevD.111.082008 |